らせん階段

この一年、とにかく頭の中にインデックスを貼るという意味合いをこめて、おすすめされた本とか気になった本をどんどん読む、というのをやっている。

わからなくてもいい、とにかく読む。

Don't think, feel.みたいなノリである。

もともと読書は好きなのだが、いわゆる技術書と呼ばれるジャンルの本との向き合い方については、うまい方ではないと思っている。

手を動かす系の本は言われたとおりに動かしてはわかったような気分になるだけだし、理論や仕組みの解説などの読み物ベースのものも「ふむふむ」くらいの感じで特に気になるところ以外は、都度孫引きしたりはせずにつらつらと読み進めている。

私は新しいことを知っていくのが純粋に楽しいので、本を頭からおしりまで全部読みたくなってしまい、「効率の良い読書」はできていない。しかも「〜ができるようになりたい」というモチベーションで読んでいるとは限らないので、読んだけど使わない内容もあり、それは結構忘れてたりする。いまのところ、読まないよりはマシだろうと思って続けている。

ある本で「ふむふむ」と読んでいてたことが別の本とか実務の中で出てきて、「あのときのアレか!」となる瞬間が一番痛快で楽しい。技術の進歩はらせん階段のように同じようなところを高さを変えながら何度も通る、みたいな話をどっかで聞いたけど、それに似ているかもしれない。

私の知識も同じようなところを何度も通ってて、でも高さ(=理解度とか範囲)は微妙に変わっていて、ぐるぐるちょっとずつ、登っていってる感じ。

ただし登ってるっていうのは主観でしかない。もしかしたら同じ高さをぐるぐるしていることもあるかもしれない。

横を見れば私より若くてキャリアがあり、才能(とくくってしまうのは失礼かもしれないが)もある人がたくさんいる。 しかもその人達も私以上に日々学んでいるという状況。

私はもともと事務系の職種だった。 なので事務系をはじめとした一般職にはない、エンジニアの人たちの職人っぽさというかある種アスリートっぽさというか、技術に対して突き詰めていくようなところとか、仕事≒趣味、みたいなところはアツくていいなと思ってる。

私はそういう職人気質の人たちをかっこいいと思ってしまうし憧れてしまうので、そういう風になりたいなと思っているが、比べたときの自らの遅い歩みに絶望すること数しれず。周りと比べない、比べるべきは昨日の自分、と言い聞かせているが当然辛くなるときもあるし、過去の自分と比較してみても成長を感じずに嫌になったり凹むこともある。

一方でエンジニア全員がかくあるべし、みたいなことは全く思わない。それぞれの立場でそれぞれの生き方がある。

どの様な仕事に付きそれとどう向き合うか、というのは生き方の選択だと思っている。いわゆる定年まで働く人にとっては、仕事をしている時間って人生で睡眠の次に長くなる可能性が高いのだ。その選択を他人にとやかく言われる筋合いはないと思う。

話がそれたが「〜ができるようになりたい」という欲を持って本を読むことより「〜が知りたい」という欲求に従って本を読むことが多かったりするので、いまは自分の中で実利を求めているというより楽しいからやるっていう割合が高い。だから続けているのだと思う。

もちろん業務のなかでは実績を求められるけど、どうせ自分の時間を使うなら、自分の興味関心ともクロスするようなところを選択したい。

とにかくずっと学ばなきゃいけないってのは大変でもあるし、面白くもある。私は「学ぶ」こと自体が好きみたいだから今の所苦ではない。

いつまでもインデックスばっかり貼ってりゃいいわけじゃないのはわかっているので、このさき本を読む目的もだんだん変わっていく必要はあるかもしれないとは考えている。

本を読む目的について、なんとなくつらつらと考えたことを書いてみた。 たとえ効率悪くても、自分の興味関心に従ったらせん階段登り続けていければいいなぁという感じ。